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知られざる観葉植物の歴史|古代から令和まで、植物と人の2000年
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知られざる観葉植物の歴史|古代から令和まで、植物と人の2000年

by tokyoplants 編集部

今、私たちの部屋にあるモンステラやアンスリウムは、どこから来たのか。どんな歴史を経て、プラスチックの鉢に入れられ、インターネットで売られるようになったのか。

観葉植物の歴史をたどることは、人間が「自然」とどう向き合ってきたかという歴史でもあります。


古代:贅沢品としての室内植物

室内に植物を持ち込む習慣は、文明の始まりと同じくらい古くからあります。

古代エジプトでは、神殿の庭園に無花果(イチジク)や蓮が植えられ、貴族の邸宅には鉢植えの植物が飾られていたことが壁画や遺跡から確認されています。ツタンカーメンの墓(紀元前14世紀)からは、生花を飾るための容器が出土しています。

古代ローマでは、アトリウム(atrium) と呼ばれる吹き抜けの中庭が貴族の邸宅の中心にあり、ローレルやオリーブ、季節の草花が植えられていました。植物は富と教養の象徴であり、ローマの哲学者プリニウスは著作『博物誌』(77年)の中で数百種の植物を詳細に記録しています。

東アジアでも同時期に室内植物の文化が発展していました。中国では盆栽(中国語:盆景 péngjǐng)の起源が漢代(紀元前2〜紀元後2世紀)まで遡るとされており、日本には奈良時代(8世紀)頃に伝来したとされています。


中世:植物は「薬」だった

西洋の中世(5〜15世紀)において、植物を室内で育てる習慣は一時的に縮小しました。観賞目的の植物文化よりも、修道院のハーブ園が植物との主な接点でした。

修道士たちは薬草(ラベンダー、セージ、タイム、バレリアンなど)を栽培・研究し、薬学の知識を記録しました。植物は「神の創造物」として神学的な文脈で語られることが多く、美的な鑑賞よりも実用・宗教的用途が優先されていました。

この時代に重要な役割を果たしたのが**ボタニカルガーデン(植物園)**の成立です。イタリアのパドヴァ植物園(1545年創設)はヨーロッパ最古の植物園のひとつで、医学部の附属施設として設立されました。植物を系統的に分類・研究する文化の萌芽がここにありました。


大航海時代:世界中の植物がヨーロッパへ

15〜17世紀の大航海時代は、植物文化に革命をもたらしました。スペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスの船が新大陸・アフリカ・アジアへと進出し、膨大な数の未知の植物がヨーロッパへ持ち帰られました。

アメリカ大陸からは、トマト・じゃがいも・トウモロコシといった食用植物だけでなく、観賞用のダリア、ゼラニウム、フクシアなどが初めてヨーロッパに紹介されました。

この時代の象徴的な出来事が チューリップバブル(1636〜1637年、オランダ) です。オスマン帝国からもたらされたチューリップが爆発的な人気を博し、球根ひとつが熟練職人の年収を超える価格で取引されました。世界初の投機バブルとも呼ばれるこの現象は、植物が単なる鑑賞物を超えて「投資対象」となった最初の事例でもあります。


18世紀:科学が植物を変えた

1753年、スウェーデンの植物学者カール・フォン・リンネが著書『植物の種(Species Plantarum)』を発表し、現在も使われる二名法(属名+種小名で植物を命名する方式) を確立しました。Monstera deliciosaPhilodendron hederaceum も、この体系の産物です。

リンネの分類法は植物の国際的な研究を可能にし、ヨーロッパ各地に王立植物園が設立されていきます。その中でも最も重要な存在が キューガーデン(英国王立植物園) で、1759年にロンドン近郊に設立されました。

キューガーデンは単なる観賞施設ではありませんでした。大英帝国の植民地政策と密接に連携し、ゴム(Ficus elastica、後にヘベアゴムノキに切り替え)、茶、キナ(マラリア薬の原料)などの経済植物を世界中で栽培するための「植物の流通センター」として機能しました。植物の歴史は、しばしば帝国主義の歴史と重なります。


19世紀:プラントハンターと温室の時代

19世紀は、観葉植物の歴史で最も劇的な変化が起きた世紀です。

ウォーディアンケースの発明(1829年)

ロンドンの医師ナサニエル・バグショー・ウォードは、蝶の蛹を密封したガラス瓶の中で偶然シダが育つのを観察し、密閉されたガラスケースで植物を輸送できることに気づきました。これが**ウォーディアンケース(Wardian case)**の誕生です。

それ以前は、船での長距離輸送中に塩風・乾燥・温度変化で植物のほとんどが枯れてしまいました。ウォーディアンケースによって初めて、生きた状態で熱帯植物をヨーロッパへ届けることが可能になりました。この発明なしに、今日の観葉植物文化は存在しなかったといっても過言ではありません。

プラントハンターの活躍

ウォーディアンケースを携えて熱帯雨林に踏み込んだ植物採集家たちをプラントハンター(plant hunter) と呼びます。キューガーデンや貴族・植物商の依頼で、南米・東南アジア・アフリカの密林に分け入り、未知の植物を採集して送り返しました。

著名なプラントハンターのひとり、アンドレ・コニャクス(André Cogniaux)ギュスターヴ・ワリス(Gustav Wallis) は、コロンビア・エクアドルでフィロデンドロン・アンスリウムの希少種を多数採集しています。このころ採集された種が、現在のコレクターズプランツの原型になっているものも少なくありません。

ヴィクトリア朝のシダ熱(プテリドマニア)

1840〜1880年代のイギリスでは、シダ植物への熱狂的な関心が社会現象になりました。これをプテリドマニア(Pteridomania)、またはシダ熱(Fern fever)と呼びます。

中産階級が郊外や農村に出かけてシダを採集し、自宅のウォーディアンケース(小型の室内版が流行)で育てることが一種のステータスになりました。植物を収集・鑑賞する趣味が社会全体に広がった最初の大衆的ブームであり、今日の観葉植物ブームの先祖とも言えます。


20世紀前半:近代建築と植物の共存

20世紀に入ると、観葉植物文化は建築と密接に結びつきます。

1920〜30年代のバウハウスやアール・デコの時代、シンプルで機能的な室内空間に「有機的な要素」としてゴムの木(Ficus elastica)やドラセナが取り入れられるようになりました。

日本では明治維新(1868年)以降、洋風建築の普及とともにゴムの木・アスパラガス・シクラメンなどが「洋室に合う植物」として普及しました。昭和初期の応接間にシダやアスパラガスを飾る習慣は、この流れから来ています。


1960〜70年代:モンステラがアイコンになった時代

1960年代後半から70年代にかけて、モンステラは時代を象徴するインテリアアイコンになりました。

北欧デザイン・イタリアのモダンインテリアが世界的に流行するなか、大きな葉と力強いシルエットを持つモンステラは「洗練されたモダンリビング」の定番アイテムとなりました。スカンジナビアのデザイン誌、アメリカのライフスタイル雑誌のどこにでもモンステラが登場した時代です。

同時期に日本では高度経済成長を背景に、観葉植物が一般家庭に急速に普及します。ホームセンターの台頭とともにポトス・ベンジャミン・ドラセナが「インテリアグリーン」として量販されるようになりました。


1989年:NASAが植物を「科学的に」語り始めた

1989年、NASAが宇宙ステーション向けの空気浄化研究(Clean Air Study)でポトス・スパティフィラム・アレカヤシなどが有害ガスを除去すると発表しました。

この研究は、植物をインテリアとして語る言説に「科学的根拠」を与え、「観葉植物を置くと健康にいい」という認識が世界中に広まるきっかけになりました(研究の限界については後に指摘されていますが、その広まった影響力は現在も続いています)。


2010年代:インスタグラムがモンステラを復活させた

70年代に一度ブームになったモンステラは、80〜90年代には「古くさいインテリア」として影を潜めていました。それを劇的に復活させたのが、2010年代のインスタグラムの台頭です。

北欧インテリア・ジャパンディ(日本+スカンジナビア)スタイルが世界的に広まるなか、モンステラのシルエットはフォトジェニックなシンボルとして再評価されました。2013〜2016年頃からモンステラを模したファブリック・食器・アート作品が急増し、植物そのものへの需要も再び高まりました。


2020年:コロナ禍が生んだ「プランツペアレント」文化

2020年、新型コロナウイルスのパンデミックによるロックダウンは、観葉植物文化に大きな転換点をもたらしました。

外出制限で家にいる時間が増えた人々が、室内に「生命」を取り入れることに喜びを見出しました。SNSでは "plant parent"(プランツペアレント) というワードが急増し、希少なアロイド(アンスリウム・フィロデンドロン・アロカシア)への需要が爆発しました。

モンステラ・アルボバリエガータの一株が数十万〜100万円を超える価格で取引されたのもこの時期です。希少品種のオークションや個人売買が活発化し、投機的な動きも見られました。チューリップバブルから約380年、植物が再び投資対象として注目された瞬間でした。

日本でも同様に、tokyoplantsのような希少植物専門店への問い合わせが増加し、「観葉植物」という言葉の検索ボリュームが2019年比で大幅に伸びました。


日本独自の観葉植物文化

最後に、日本固有の植物文化にも触れておきます。

江戸時代(1603〜1868年)には、特定の植物品種を珍重する独自の文化が花開きました。万年青(オモト)の珍品 が高値で取引され、将軍家や大名もコレクションした記録が残っています。また、朝顔・菊・桜の園芸改良品種を競い合う「趣味の園芸」文化は、現代のコレクターズプランツ文化と本質的に同じ構造を持ちます。

江戸の人々が希少な朝顔の変異品種に熱狂したように、現代の私たちがモンステラのアルボバリエガータやアンスリウムの希少種に高額を払うのは、400年以上続く日本人の「植物への審美眼」の延長線上にあるのかもしれません。


まとめ年表

時代 できごと
古代(紀元前〜5世紀) エジプト・ローマで室内植物の文化が始まる
中世(5〜15世紀) 修道院のハーブ園が植物研究の中心
大航海時代(15〜17世紀) 新大陸の植物がヨーロッパへ。チューリップバブル(1637年)
18世紀 リンネが二名法を確立(1753年)、キューガーデン設立(1759年)
1829年 ウォーディアンケース発明。熱帯植物の輸送が可能に
19世紀後半 プラントハンター全盛期。ヴィクトリア朝のシダ熱
1960〜70年代 モンステラがモダンインテリアのアイコンに
1989年 NASAクリーンエア研究発表
2010年代 インスタグラムでボタニカルブーム。モンステラ復活
2020年〜 コロナ禍のプランツペアレント文化。希少種の価格高騰
江戸時代〜 日本独自の園芸品種収集文化の発展

植物は、いつの時代も人の感情・美意識・経済と深く結びついてきました。今日あなたが育てているモンステラやアンスリウムには、そんな長い歴史の連なりが宿っています。

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